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| 代表産駒はオレ1人 -トウカイパレス- | コラムニスト:FUKU |
ランドヒリュウ。 15年以上競馬を観て来られたオールド・ファンの方々には懐かしい名前だろう。 牝馬2冠のマックスビューティを筆頭に、数多の活躍馬を輩出した名種牡馬・ブレイヴェストローマンの 牡駒の代表産駒。 GTには手が届かなかったが、芝の中距離戦線を沸かせた名脇役。 そんな彼の唯一の代表産駒と言える1頭の牡馬、それがトウカイパレスである。 デビュー戦は94年10月の福島。 折り返しの新馬戦を勝ち上がり、1勝馬の身ながら以後3戦はOPを使われたが、府中3歳S11着→ 若駒S10着→アーリントンC15着。 この頃の同期の一線級相手に、勝ち負けすらままならぬ状態だった。 しかし、長めの距離を使われるようになってから成績は一変した。 2勝目を挙げた後、福島の4歳限定の条件戦を軽ハンデで2着すると、函館に渡って古馬相手の自己条件 を7週間の間に3,2,2,1着。 そして3勝馬の身で京都新聞杯に出走してタニノクリエイトの4着。 2ケタ着順に大敗していた春とはまるで別の馬へと変貌を遂げていた。 京都新聞杯の好走で陣営は菊花賞挑戦の意思を固めたが、いかんせんトウカイパレスはまだ3勝馬。 未勝利・500万・900万特別を勝っただけでは、菊花賞出走はまだ微妙なものであった。3着までに 菊花賞の優先出走権が与えられる京都新聞杯で惜しくも4着に終ったことが、トウカイパレス陣営には 重くのしかかっていた。 1995年11月5日、京都競馬場。 当日の菊花賞の馬柱の8枠17番に、トウカイパレスの名前が記されていた。 菊花賞と言うのは不思議なレースで、過去にも出走が危ぶまれた馬が好走するケースは数多い。 古くは76年の覇者グリーングラス、割と最近では88年のスーパークリーク・ガクエンツービートのワンツー、 90年のメジロマックイーンといった具合だ。当たり前の事だが、毎年必ずしもこのような傾向が続くわけ ではなく、そこが競馬の競馬たる所以でもあるのだが・・・。 皐月賞馬ジェニュインの回避、ダービー馬タヤスツヨシの不振に加え、出走18頭中唯一の牝馬・オークス馬 ダンスパートナーの参戦も手伝って、単勝オッズは割れに割れた。 結局、最終的には牝馬のダンスパートナーが単勝4.9倍の1番人気に推されてしまうほど、この年の菊花賞 は大混戦の様相を呈していたのである。トウカイパレスは単勝24.7倍の9番人気。 レースはセントライト記念を勝ったサンデーウェルの逃げで始まった。 1000m通過が60.9のハイペース。 2周目の2コーナーでマイネルブリッジがハナを奪ったが、それでも向正面流しでは13秒台のラップも 刻まれ、やや落ち着いた流れに。 人気のダンスパートナーはちょうど中団辺り、トウカイパレスもほぼ同じ位置からの追走となった。 レースが動いたのは3コーナーの上り坂。 4番手につけていた3番人気のマヤノトップガンがサンデーウェルに並びかけ、人気のダンスパートナーと タヤスツヨシが並んで進出を開始、 4コーナーではマヤノトップガンが一気に先頭に立ち、ダンスパートナーとタヤスツヨシ、さらにはアンジェロ パテオが先行していたイブキタモンヤグラ・オートマチック・シグナルライトと並んで3番手集団を形成して 直線に向いた。 マヤノトップガンが逃げる。 4コーナーを2番手で回ったサンデーウェルはすでに一杯、ナリタキングオーも苦しくなったところへ イブキタモンヤグラ・ダンスパートナー・タヤスツヨシが2番手に上がって追撃。 この3頭の意地の張り合いから、なんとダービー馬タヤスツヨシが真っ先に脱落。 これを一気に交わして4コーナーで自重していた2頭・・・トウカイパレスとホッカイルソーが一瞬で ダービー馬・オークス馬をまとめて交わして前を捕まえにかかった。 マヤノトップガンが逃げる。 トウカイパレスが追い詰める。 あと1馬身少しまで迫ったところがゴール板だった。 勝ったマヤノトップガンのタイム、3.04.4は前年のナリタブライアンを0.2秒上回るレコードタイム。 1馬身4分の1遅れたトウカイパレスのタイムはナリタブライアンがマークしたそれと同タイム。 本賞金も加算され、今後に待ち受けている古馬との戦いへ向け、大きな期待を抱かせるのに 十分すぎる内容だった・・・。 その後の彼の成績は、まさに"血統のなせる業"を象徴するかのようなものだった。 鳴尾記念3着。 年が明けて日経新春杯3着。 平成の名勝負・96年阪神大賞典は、菊花賞で0.2秒差まで迫ったはずのマヤノトップガンから実に1.6秒 離されての4着に終った。 7ヶ月の休養後、OP特別カシオペアS9着。 続くアルゼンチン共和国杯では、3年11ヶ月の長い長いトンネルを抜けたエルウェーウィンの後塵を 拝して2着。 95年9月の900万特別での勝利以来勝ち星がなく、なかなかトンネルを脱出できずにいた。 3週間後の12月7日、ステイヤーズSで4着の後、屈腱炎を発症。 再起を目指したが、結局4勝目を上げられぬまま引退、乗馬への転用が決まった。 現在、彼は九州・宮崎の宮崎大馬術部で乗馬として大活躍、九州の馬術競技では数多の入賞を重ねている。 隣の馬房には札幌3歳S勝ちのテイエムハリケーンがいると言うお話。 種牡馬として産駒は残せなかったが、九州でも実力上位の馬術馬として悠悠自適の毎日を過ごしている。 全ての競走馬が、彼のような幸せな余生が送れているとは限らない。90年の宝塚記念でオグリキャップを 負かしたオサイチジョージなどは、現在ではなんと行方知れずになってしまっているという。 わが国でも、競馬場でファンを沸かせてくれたサラブレッドが何の憂いもなく余生を送れるような環境が 整ってくれればいいのだが・・・。 21世紀へ向けた日本競馬の1つの大きな課題だろう。 菊花賞2着馬・トウカイパレス。 彼は今、元気一杯で幸せな余生を送っている。 (FUKUSHIMAのダビスタページ) |
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